5/9(木)~5/16(木)
③5/11(土) ツェルマット(マッターホルン・グレッシャーパラダイス)~トゥーン
けたたましく響く携帯のアラームに夢うつつの頭が反応し、そのまま右手で携帯を顔の前に引き寄せると朝の4時だった。山の上にいるわけでもないのに日が昇る前に起きた理由とは、それはこれから山の方へ向かうからである。
ちなみに、某クソデカ手荷物は、この日のために日本からえっちらおっちら運んできた。シェアハウスの地下室のスペースに置かせてもらっていたので、忍び歩きで階段を下って取りに行く。そういえば、スイスでは2011年まで、国内の全ての建築物に核シェルターを設置することが義務付けられていた。現在でも、もし核戦争が起きたなら、全国民が核シェルターに避難できる状況にあるそうだ。今思えば、僕が荷物を置かせてもらっていた地下室は、おそらくその核シェルターだったのだろう。
外に出ると、お日様はそろそろ昇ろうか、という頃合いで、まだ少し薄暗い。ちょっと肌寒い街を足早に歩いて、ヴィンタートゥール駅から一番列車に乗り込む。無機質な鉄骨に取り付けられた時計は5時20分を指していた。
チューリッヒ中央駅で、スイスの首都、ベルンへ向かう列車に乗り継ぐ。乗り換え時間はあまりなかったのだが、パートナーが駆け足で2人分の飲み物を買ってきてくれた。有難い。
列車はここからベルンまでノンストップだ。スイスの中央部をひたすら西進する。駅に近づくと比較的無機質な住宅地が広がるが、郊外に入って視界が開け、ふと年季の入った古城などが目に入ったりすれば、カフェインよりよっぽど良質な刺激薬となる。
ベルンに着くころには日が昇っていて、中世から残る石造りの街並みを、朝日が朗らかに照らす様子を、列車の中から川を隔てて仰ぎ見る。ここまでおおよそ1時間半といったところか。1時間半で国の東西おおよそ半分ほどを移動したとなると、意外と日本という国は大きいのかもしれない、と考える。
ベルンからフィスプ行の列車に乗り換え、線路は南へ向かう。左手にはトゥーン、シュピーツと湖畔に広がる街の長閑な風景を、右手には緑の牧草地の先の岩山が徐々に険しくなっていく様を眺めながら、差し込む朝日に心地よく照らされてのんびりと朝食を食べる。パートナーが冷蔵庫に寝かせていた漬け込んだ鶏むね肉があったので、昨晩いそいそとサンドイッチを用意してきたのだ。
フィスプからはこれまでの特急列車から、箱根登山鉄道に似たローカル線に乗り換える。と言っても車内は広く、箱根登山鉄道よりだいぶゆったりとした雰囲気だ。
ここからツェルマットへは1時間ほど。車窓から眺める景色はまさに壮観で、アルプス山脈の前衛の山々に囲まれた谷間を、勇ましく、のんびりと進む。険しい渓谷の脇を縫うように走ってヒヤリとしたと思いきや、ささやかなシャレーの庭に飼われた山羊や羊が牧草を食む姿に癒される。子どもの頃、何かの図鑑で見た「氷河特急」がすれ違ったときは、童心に帰ったかのような高揚感に満たされた。
とにかくスイスは地形が大きい。車窓から見上げた山をGoogleマップで同定し、ふと検索してみると、標高が4000mを超えていたりということがしばしばある。壮大な景色に感嘆の声をあげていれば、「次はツェルマット」とのアナウンスが。列車の窓に頬を寄せ、マッターホルンが見えないかどうか思案していると、線路がすこしカーブした瞬間に、少しだけその姿を拝むことができた。
ツェルマットの駅に降り立ったのは9時過ぎだった。向かいのホームには氷河特急が停車していたので、せっかくなので記念撮影をする。
ツェルマット駅から外に出る。何となく良い空気だ。駅の向かいにはcoopがあって、隣に何やら見慣れたクマの人形がいる。なんとモンベルのツェルマット店だ。まさかこんなところでこのロゴを見るとは…と思いながら、自分が今着てるフリースもモンベルのものだったことを思い出した。
ログハウスが立ち並ぶメインストリートを歩いていく。スイスの十字架が我々をマッターホルンへと誘う。
次の目的地はレンタルショップである。僕はとあるクソデカ手荷物を日本からここまで担いできたが、パートナーは自分のそれを持っていないから、ここでレンタルするわけである。ツェルマットでいったい何を借りるのか、もうおわかりだろう。
そう、我々は此処にスキーをしにやってきたのだ。ツェルマットからロープウェイで標高3,883mまで標高を上げた先には、Matterhorn glacier paradiseなる365日営業のスキー場があるのだ。マッターホルンの山麓に広がるテオドール氷河をそのままコースとして利用しており、ヨーロッパで最も標高の高いスキー場らしい。
スイスというウインタースポーツの本場に行くならば、僕にとってアルプスでスキーを行うという選択肢は絶対に外せなかった。もちろん南会津のブナの森でのんびり滑るスキーは大好きだが、アルプス山脈のスケールの中で行うスキーは、またテンションの度合いが違ってくる。これはこれ、それはそれ、どっちもきっと楽しいのだ。
僕の右膝がもう少し万全で、もう少しお金に余裕があったのなら、Breithornに登って山スキーをする、という選択肢もあったのだろうが、パートナーと共に雲上の楽園で浮遊するようにのんびりと滑るスキーも格別だろう。
スキーをレンタルし、メインストリートを離れて、ロープウェイの乗り場に向かうべく川沿いの道に出る。すると、目の前の景色の1番先に、純白の尖峰が浮遊物のように、突如として姿を現す。これは何かのバグか?そう思ってもおかしくないような存在感を放っている。まるで宇宙から小惑星がやってきて、そのまま突き刺さったような、そんな出で立ちである。そう、ツェルマットといえばこの山、マッターホルンがそこにある。
違和感すらある存在感に困惑に似た感情を覚えながら、足早にロープウェイ乗り場へ向かう。ロープウェイ乗り場でスキー場の1日券を購入する。ここでは先述のsaver day passは使えない。価格は92CHF、日本円で1万5千円強といったところだ。南郷スキー場のシーズン券とほぼ変わらねえじゃねえか!と思ったが、まあ体験には代えられない。スイスの物価は高いのだ。
ロープウェイに乗り、グイグイ標高を上げていく。高度感も連れて出てくる。途中1度ロープウェイを乗り換えて、標高2928m、Trockener Steg駅に降り立った。ここが、夏スキーの際のスキー場のボトムとなる。
我々はスキーの準備を済ませて、とりあえず山頂まで行ってしまうことにした。山頂へ向かうロープウェイは、Breithorn(4164m)のおおよそ基部、Klein Matterhornという名のピークに向かって架線が伸びており、凄まじく険しい自然環境の中、それこそ足がすくむような高度をふわふわ浮かんでいるような感じで進んでいく。よくこんなところにロープウェイを建設したものだと、心の底から感心する。
ちなみに、Klein Matterhornは小さなマッターホルンという意味で、確かにマッターホルンのような鋭い岩峰になっている。頂上付近には展望台がある。
10分ほどで標高3883m、Matterhorn glacier paradise駅に着く。さあ、待ちに待ったヨーロッパアルプスでのスキーだ。スキップしたい身体を抑えながら歩く。いや、スキップできない。高揚感で満たされた心と、息苦しくて進まない身体。あぁ、多分あれだ、わかったぞ。
酸素が薄い!!
当たり前である。1時間もかからず、おおよそ1500mのツェルマットの街から、富士山より高い場所まで登ってきたのである。
幸い、頭痛がするわけでもないし、少し息苦しい感覚があるだけで動けないことは無い。高山病の症状は無さそうだ。
Matterhorn glacier paradise駅のトンネルを抜けると雪国であった。「マッターホルンの氷河の楽園」、これほど絶妙な表現で名前負けしないこともない。青い、青い青空、浮かぶアルプスの大山脈。ボンヤリしていると、青と白の境目が分からなくなりそうだ。やはり高山病かもしれない。
スキーを走らせる。雪面の感触は固い。だが、柔らかい。僕は多分浮かんでいる。なぜなら、目の前の景色のスケールが大きすぎる。これは鳥の感覚だ。スキーの速度では、空中をスキーでふわふわ浮遊しているような感覚に陥る。やはり高山病かもしれない。
時折感じる息苦しさが、自らを現実へ引き戻す。とりあえず、マッターホルンを正面に拝むコースを下ることにした。雪面はガリガリだが、そんなことはマッターホルンが忘れさせてくれる。
「アルプス山脈の氷河の上を滑る」という言葉を並べるだけでスケールが大きいのだが、実際に滑ってみると本当に地形が大きく、経験のないスケール感に距離感がおかしくなりそうになる。
ツェルマットから見えるマッターホルンは空中に浮かぶ尖った岩と氷の塊という感じで、どことなく湧いてくる異物感に戸惑うのだが、氷河の上から仰ぎ見るマッターホルンは、巨大な地形の一部として、大きな迫力を携えてその存在感を誇示してくる。
なお、僕はビビりなので、迫り来る彼の東壁を見ても、あまり登攀意欲というものは湧いてこなかった。これは趣向の問題だ。
途中、ツェルマットとは異なる方向からもロープウェイが伸びてきていた。イタリアのチェルヴィニアという山村からもロープウェイが伸びていて、スキーで国境を越えることもできるようだ。ちなみに今年の優駿牝馬(オークス)はチェルヴィニアという名前の馬が勝ったのだが、もちろん名前の由来はこの山村である。
休み休み滑りながらTrockener Steg駅に戻ってきた。ここからはカール地形の先にツェルマットの街が見下ろせる。形のイメージとしては、中土合展望台から見た檜枝岐村の集落のような感じだが、もちろんスケール感は全く異なる。
Trockener Steg駅からはゴンドラの他にTheodul horn方面にリフトが出ている。そちらのコースも滑ってみることにした。リフトの頂上からはツェルマットの谷あいを眺めながら滑ることができる。
コースも程よい斜度で、気持ちよくテレマークターンが決まる。氷河の上のテレマークターンは格別だ。
ヨーロッパの人々は背格好の問題なのか、スタイリッシュでスキーがとても上手に見える。もちろん、実際に上手なのだが。そして速い。僕がのんびりとテレマークスキーに興じる横で、風切り音を纏って谷底へ突っ込んでいく。彼らの凄まじいスピードには、ただ、「おぉ…」という何とも言えない声しか出ない。
このコースを3本程度気持ちよく滑り、再びゴンドラに乗ってMatterhorn glacier paradise駅へ向かう。そういえば、まだKlein Matterhornの展望台を訪れていなかった。駅のトンネル内の分岐からエレベーターで屋外に出て、鉄網の階段を登ると、360度を見渡すことのできる展望台に出る。
Klein Matterhornの山頂の展望台からはアルプスの素晴らしい山の眺めを拝むことができる。東に比較的穏やかな山容のBreithornが威風堂々、しかし北側斜面は鋭く切れ落ちていて豪快だ。西にはMatterhorn(4478m)がひときわ輝く。南はひたすら青と白の世界で、イタリア国境に思いを馳せる。北に目立つのは、槍ヶ岳のような形の山が2座、Dom(4545m)とWeisshorn(4506m)だ。
酸素の薄さにだいぶ身体が慣れてきたので、次はMatterhorn glacier paradise駅からTrockener Steg駅へ一気に滑ることにした。四方八方を白い山稜に囲まれ、なだらかな斜面をMatterhornに向かってのんびり標高を落とす時間は至高のひとときだ。
20分ほどで至高のひとときは終わり、Trockener Steg駅に下りてきた。滑りながらパートナーと「もう1本くらい行こうか」と話していたのだが、滑り終えた時にはだいぶ満たされた気分になっていた。このまま良い気分のまま思い出に残すのがいいかな、と思い、この一本で今回のスキーを終えることにした。時計は15時前、これならツェルマットの街を少し散歩する時間もあるだろう。最後にぐるりと身体を回し、アルプス山脈を目に焼き付ける。瞼の裏に残像を描きながら、Trockener Steg駅から下りのロープウェイに乗る。
麓までは30分ほどで着いてしまった。標高を下げたので、肌に纏う空気が少し暑い。酸素が多くて、呼吸は快適だ。良い思い出に浸り、朗らかな気分で歩く。ログハウスの前の陽だまりで野良猫が遊んでいる。ただ、石畳の道を進む。切手の表紙にでもできそうな風景だ。パートナーがレンタルしたスキーを返却し、メインストリームを進んでツェルマットの駅まで戻ってきた。
ツェルマットの駅に戻ると、次の列車までまだ少し時間があった。喉が渇いていたので、駅前のCoopでコーラを買ってから、ツェルマットを少し散歩することにした。やはりマッターホルンの存在感がおかしい。立ち並ぶ木造建築の上からこれでもかというほどに存在を主張してくる。青空に浮かぶ小惑星といったところか、あきらかに何かが浮かんでいるように見える。
素晴らしい天気の下、ツェルマットの街を練り歩く。ツェルマットはマッターホルンの麓の谷あいに位置する小さな山村である。それでもこの村が人々に愛されているのは、村の向こうに鎮座するマッターホルンの美しさによるものだとは、「地球の歩き方」の受け売りだが本当にそう思う。
Matterhorn glacier paradiseからはマッターホルンの東壁が正面に見えていたが、ツェルマットからは正面にマッターホルン初登で登られたヘルンリ尾根が見える。尾根の左側が東壁、右側が世界三大北壁のひとつ、マッターホルン北壁だ。
40分ほどツェルマットを練り歩き、再び駅に戻ってきた。既に列車は入線していた。ザックに括り付けたスキーをケースに入れて、帰りの列車に乗る。列車はゆっくりとツェルマットを離れ、険谷を進んでいく。やはり、家畜が芝で遊んでいる長閑な風景と、その先の地形のスケールのギャップが面白い。
普通なら、ツェルマットを訪れ、今日の旅は終わりだろう、となるだろうが、今回はここで終わらない。スイスは日が長い。列車がツェルマットを出たのは17時を過ぎた頃だったが、太陽はまだ煌々と輝いていた。
フィスプで列車を乗り換えて、北へ向かう。ベルンまでは行かず、途中で下車する。ぶらり途中下車の旅だ。
我々は、早朝の列車から見えた湖畔の街、トゥーンを訪れた。線路の向こうに見えた、とんがり帽子のお城が、気になって仕方なかったのだ。
次の列車が来るまでおおよそ1時間程度だったが、「地球の歩き方」を読みながらGoogleマップで調べてみると、街の中心部の主な名所は40分程度で巡ることができそうだ。とりあえず気になった場所に行ってみよう。車窓を見ながら気になった場所にふらり下車し、辺りを練り歩く。高校生の頃、青春18きっぷを使い、ただ自由にふらりと流浪の旅人を気取った、そんな旅を思い出した。
駅からまっすぐ通りを行くと環状交差点に出て、その先はアーレ川だ。右に曲がって川沿いを進むと、少しばかりでFlusswelle Thunだ。1726年に建設され、1978年に全面改装されたこの木の橋は、トゥーン湖から流れ出るアーレ川の水門の役割を担っており、暑い時期には水門から流れ出る水流でサーフィンをする若者もいるらしい。日が傾き、少しばかりセピア調の光に照らされた水門橋と、対岸のトゥーン城のコンビネーションが秀麗だ。
水門橋は歩いて渡ることができ、ここから対岸へ。左に曲がって川沿いを歩き、大通りとの交差点に出たら、対岸の路地裏の階段を上がる。やがて石畳の坂道となり、そのまま緩やかな坂道を上がっていくと、街のシンボル、トゥーン城だ。列車の中から見た、とんがり帽子のお城だ。世間一般の人々がイメージする、おとぎ話に出てくる西洋のお城は、おそらくこんな形をしているだろう。とんがり帽子がかわいらしい、「素敵」という言葉がとても似合う、可憐なお城だ。
ここから屋根付きの階段を下りると、トゥーンの旧市街だ。建物が隙間なく建てられていて、我々が歩いている歩道はどうやら建物の2階にあるらしい。夕飯時ということもあり、通りのレストランが賑わいを見せている。
再びアーレ川を渡ると、傾いていたお日様がようやく沈もうというところだった。腕時計の針は、20時過ぎを差していた。
最初の環状交差点に戻り、駅に着いた頃にはさすがに疲労感が身体にきた。まだ明るいとはいえ、既に20時だ。移動時間が多かったとはいえ、ヴィンタートゥールの家を出たのは朝の5時だし、疲れるのは当たり前だろう。
しかし、たった1時間の滞在ながら、この小さな湖畔の街を訪れて本当に正解だった。斜陽に煌めく小さな湖畔の街は、まさに「素敵」であった。セピア色に染まる街の、なんともかわいらしく、綺麗なことか。この石畳の街の1時間を、僕は生涯忘れることはない。
夕暮れ時だからか、トゥーンからベルンに向かう列車は席が空いておらず、ドアにもたれかかりながら、徐々に暗くなる景色をただぼーっと見つめていた。ベルンで列車を乗り換え、ようやく席にありつけて、一息つくことが出来た。チューリッヒ中央駅に着く頃にはウトウト眠っていたようで、あまり記憶が無い。
ようやくヴィンタートゥールに着いた頃には23時をとうに回っていて、眠くてヘロヘロになりながらも階段を上り、丘の中腹のシェアハウスへ戻る。それでも空腹には抗えず、パートナーが買っておいたピザを温め、ひたすらかじりついてから、目覚ましもかけずに寝床に倒れ込んだ。明日は今回の拠点、このヴィンタートゥールでダラダラするつもりだ。
つづく
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