5/9(木)~5/16(木)
⑥5/14(火) マイエンフェルト
早いものでスイスの滞在も最終日となってしまった。明日の朝の飛行機で日本に帰ると思うとなんだか名残惜しいが、何事も腹八分目くらいがちょうどいいのだ。
旅行の計画を立てているときから、この日は何処かでハイキングをしようと考えており、当初はサン・モリッツへ向かい、ベルニナアルプス方面でハイキングをしようと考えていた。しかし、連日スイス国内を歩き回ったことによりだいぶ疲れがたまっていて、次の日の飛行機で帰国する予定だったこともあり、安全策で行こうということで、片道4時間のサン・モリッツ訪問は白紙となった。ちなみに、パートナーは7月にサン・モリッツ方面を訪れてハイキングをしたそうだが、聞けば「スイスで一番綺麗だった」とのことだ。
「地球の歩き方」をペラペラめくって、どこかいい場所はないかと探す。ページをめくっていくとこの村、マイエンフェルトが目に入った。グラウビュンデン州の北の外れにある、葡萄畑が広がる小さな村だ。
スイスと聞いて「アルプスの少女ハイジ」を連想する人も少なくないだろう。スイスを舞台にした著名な児童文学であり、今も世界中の子どもたちから愛されるベストセラーだ。日本では、おそらく高畑勲監督のアニメを想像する人が多いと思われる。
何を隠そう、マイエンフェルトは、その「アルプスの少女ハイジ」の舞台となった村なのである。まさかユーラシア大陸を横断した先で健全なる聖地巡礼をすることになるとは思うまい。
ヴィンタートゥールからチューリッヒへ向かい、チューリッヒからマイエンフェルトへは列車に揺られて1時間と少々だ。
マイエンフェルトの駅はいかにも小さな村の駅といった様相だ。相変わらず今日も天気が良い。五月病という言葉が馬鹿馬鹿しくなるような青空が広がっている。
世界中からハイジファンが訪れるこの小さな村には、「Heidiweg」なるハイキングコースが整備されており、「Heidiweg」の表記がある赤い看板を目印に道を辿ればよいので、非常に歩きやすい。
「Heidiweg」は駅から北東方面に続く道に沿っているようなので、これに従って進む。中世の雰囲気を醸し出す、素朴で穏やかな村を歩く。穏やかな外壁の配色は視界が和んでとても良い。
村の売店に立ち寄って、旅のお供に大きいパウンドケーキを買った。
緩やかな坂を登り、村の中心部を抜けると空が大きく見えるようになると、そこはどこまでも広がる葡萄畑だ。村の周りを覆うように葡萄畑が広がっている。葡萄畑の先にマイエンフェルトの素朴な街並みを見下ろす。
振り返れば、精悍なスイスの山岳風景の下に穏やかな放牧地が広がる。そよ風に揺れる牧草の向こうで牛たちがのんびりと草を食んでいる。
マイエンフェルトの駅から緩やかな坂道を登り、1時間程度で「Heididorf」だ。まず到着するとハイジのショップがあり、このショップの2Fはハイジに関する資料館となっている。辺りを見渡すと、ハイジがおじいさんと暮らした山小屋やハイジの家が再現されているようだ。
ショップの建物の目の前はお花畑になっていて、ヤギが欠伸をしながらのんびりと佇んでいた。谷あいにマイエンフェルトの村と、残雪を携えたスイスアルプスの前衛の山々の眺めが良い。放し飼いにされているニワトリたちが時折辺りを見渡しながら、何かを思い出したようにヒョコヒョコ歩く姿が可愛らしい。
ハイジショップでチケットを買って、ひとまず「Heidihaus」、ハイジの家だけ鑑賞する。おそらく忠実に再現されているのだろう、かつてスイスの山岳地帯に住む人々が使っていたのだと思われる農業用の道具や、生活用品が生活感そのままに家のあちこちに置かれていた。外は汗ばむ陽気なのだが、家の中は意外と涼しい。
こういった展示を見るのも目的のひとつだが、そもそも本日の我々の主目的はハイキングをすることだ。
「地球の歩き方」によれば、どうやらここからおよそ往復3時間の場所に「Heidihütte」なる山小屋があるらしい。「ハイジの山小屋」といえば、どうしてもハイジの住むアルムの山小屋を連想してしまうが、果たして原作再現度はいかがだろう。ピクニック気分で足を伸ばしてみる。
穏やかな陽気の中、風にざわめくモミの木の道を行く。時折樹間から谷あいの集落が見えると、ささやかなことだが気分がよくなる。山小屋までは車で登れるようで、何度かすれ違った。足元は途中でアスファルトから砂利道に変わるが、よく整備されている。平日の午前中ということもあり、ほぼ貸し切り状態のトレイルだ。
つづら折りの道のカーブの部分に出ると視界が開ける。黄緑色と水色の爽やかな風景が広がる。ぽつりと置かれたベンチに腰掛けて、爽やかな風景を見ながらパウンドケーキを一口食べた。なんだか時間の流れが穏やかだ。
Heididofを出てから1時間と少しというあたりで樹林帯を抜け、一気に視界が開けた。
峻険な岩峰を背に、緑の絨毯が一面に広がる。振り向くと、風にざわめくお花畑の向こうに、パウンドケーキに砂糖をまぶしたような山々が見える。足元から続く小さな道の向こうに、ハイジとクララが手をつないで降臨するかのような錯覚すら覚える。
時の流れと言うのはどこに存在していようと一定に進んでいくわけだが、僕が今立っているこのお花畑だけ、ただゆっくりと、穏やかな時間が流れているのだと信じたくなってしまう。とにかく、僕が今までずっと脳裏に思い浮かべていた「スイス」はここにあったのだ。
お花畑の中を進んでいくと、道の先にぽつりと山小屋が見えた。お花畑にぽつりと立つかわいらしいログハウスだ。ヨーゼフを探したが残念ながらいないようだ。
口笛はなぜ遠くまで聞こえるのか、あの雲はなぜ私を待ってるのか、そんなことを考えたくなる気持ちもわかる。時間の流れが穏やか過ぎるからだ。お花畑に寝そべって、どうでもいいことを考えたくなる。まあ、ハイジにとっては至って純粋な質問なのだろうが。
しかしながら、まだシーズンオフだったのか、山小屋は残念ながら営業していなかった。営業していれば、ソーセージやチーズなどの軽食を食べながらビールを飲むことができるようだ。少し残念だったが、小屋の裏の水場に瓶が冷やされていた。田舎によくある野菜の無人販売所のようなシステムで飲むことができるらしい。お金を払って一本頂く。
楽園のような場所で飲むお酒は格別である。火照った身体に爽やかな風味が染み渡る。調べてみるとレモネードをビールで割ったメイドインスイスのお酒らしい。
持ってきたパウンドケーキにパクつきながら、何も考えずにただ風に揺れるお花畑をのんびりと眺めていた。
悲しい哉、たとえいくら時間がゆっくり流れていると思い込んだとしても、無常にも流れ去るのが時間というものである。いつまでもこの幸せなお花畑に囲まれていたい気分だったが、一時の気分で浮世を離れるほど浮ついていないので、現実に引き戻されることとする。
お花畑に囲まれた楽園に手を振って、再びモミの木の林道を下っていく。余韻が残っているので、誰もいないことを確認してたまにスキップなんかをしたりする。1時間と少々でHeididorfに戻ってきた。
他にもハイジやペーターが通っていた学校や、アルムの山小屋が再現されていたりするので、一通り見て回ることにする。
まあ正直な話、「聖地巡礼」などとのたまう割には「アルプスの少女ハイジ」を大して観ていないわけなのだが、一昔前のアルプスの人々の暮らしを知るという意味でも、普通に面白いテーマパークとなっている。
一通り見て回ったので、ハイキングを再開することとする。多くの言語で書かれた「ようこそ!」の看板から、ハイジが世界中から愛される作品であることが伺える。
羊がのんびりと日向ぼっこをしている道を進み、Heididorfの看板を通り過ぎると、穏やかな草原の向こうに壮健な岩峰が見渡せる場所に出た。休憩がてらしばし眺め、先を行く。
トレイルはやがて放牧地の中を抜けていくようになり、やがて放牧地の傍の樹林帯を縫うようになる。明るい森を抜けると葡萄畑の傍に出る。汗ばむ陽気の中、地元の農家の方々が葡萄畑を丁寧に手入れしていた。
葡萄畑のそばのベンチに腰掛けて一息つく。穏やかな時間ももうすぐ終わりだと思うと少し寂しい気分だ。
坂を下り、行きと同じ素朴な村の中を抜ける。帰り際にお土産屋さんに立ち寄って、かわいらしい手ぬぐいを買った。
マイエンフェルトの駅から帰りの列車に乗り込む。午後の暖かな陽の光が程よい疲労感を刺激してすぐに眠くなった。
お土産を買うためにチューリッヒで途中下車する。たちまちスイス最大の都市の喧騒に包まれる。葡萄畑が広がる小さな村からやってきたので、繁華街の賑やかさに少し戸惑う。雑貨店に立ち寄り、家族へのお土産を選んだ。
列車に揺られてヴィンタートゥールに向かい、丘の途中のシェアハウスに戻ってきた。夕飯を作りながら、物思いにふける。
何だかんだでチューリッヒの空港に辿り着き、チューリッヒの街を練り歩いた日から5日が経っていた。思えば狐につままれたような5日間だった。自分が大陸を越えてスイスにいるとは思えないような感覚で5日間を過ごしていたような気がする。なにしろ、自らがこんなに浮ついた海外旅行をするとは思いもしていなかった。
学生時代はお金がなかったし、そもそも「日本にいても充分に楽しめる」と思い込んでいたから、海を渡ろうとはこれっぽっちも思わなかった。もちろん日本という国は味わい尽くせないほど味がある国だと思っている。しかし、人がなぜ「旅行」と銘打って、わざわざ他所の土地に行くことを好むだろうかと考えたとき、やはり心のどこかで未知の体験への衝撃に取り憑かれているからなのだろう。たった5日間海の向こうで過ごしただけの身分で大層な感想だと自分でも思うのだが、異国情緒というものはそういった体験の最たるものだと、そう思ったのだ。
大学生の僕はエキゾチシズムに浸る周りの裕福な若者たちを鼻で笑い、学生は学生らしく慎ましい旅行をすべきだと、甲府駅のコンコースで寝袋に籠って駅寝に興じていた。それはそれで、青臭くて良い旅なのだと思う。だが、今僕が、大学生の僕に言いたいことは、エキゾチシズムに浸る人々を一笑に付すのはやめてほしい、ということだ。自らエキゾチシズムの沼の中に足を踏み入れてしまった、ということもあるが、幼稚で捻くれた考えに囚われ、もしかしたら出会うかもしれなかった体験の可能性の幅を自ら狭めてしまったことが、今となってはとても恥ずかしいからだ。主人公みたいなことを言うが、何事も可能性を自ら否定してしまうのは、どんな事であろうと勿体ないし、それは余りにも馬鹿馬鹿しい。
そんな余韻に浸りながらスイスビールを開ける。どんなに一時的に流浪の旅人を気取っても、僕のような半端な人間が、浮世を離れることは許されないのである。明後日から勤労の義務を果たすべく、明日の朝、日本に帰るため飛行機に乗り込む。僕は普通の社会人だから、世捨て人にはなれない。仕方がないのである。だから、ほろ酔い気分と共に、この5日間を素晴らしい思い出として引き出しにしまっておこうと思う。
おわり
コメントを残す