前十字靭帯損傷・半月板損傷を負って① 受傷日のこと

2023年2月25日、僕は右膝の前十字靭帯損傷・半月板損傷・前外側靱帯剥離骨折という大怪我を負ってしまった。手術のための入院を終え、ある程度日常生活も送れるようになり、自分の心もある程度は落ち着いてきたと感じたので、経緯や所感などを記していこうと思う。

2023年2月25日、まずその日は寝不足だった。仕事で諸事情あってイレギュラーが発生し、連日の残業で睡眠時間が削られ、明らかにコンディション不良であったが、この冬は仕事疲れで山に行けない日々が多かったこともあり、山に行きたい一心から眠い目をこすって頭痛に耐え、南会津の志津倉山へ向かった。

よく考えてみれば志津倉山への林道を歩いているとき、僕の頭の中はマイナス思考が占拠していた。浮かび上がるのは自分が雪崩に埋もれる映像であり、ツリーホールにハマって抜け出せなくなる映像であり、雪の急斜面を滑落していく映像だ。確かにそういったアクシデントに対する緊張感は常に持っておくべきなのだが、この日はなぜか負の感情のみに囚われすぎていた。傍から見れば難易度の低い里山に向かっているだけなのだろうが、身体の不調はやはり精神にも影響しているのだろうか、ただ、この時ばかりは山を「楽しむ」ことを完全に忘れていた。

それでも林道からブナの尾根に乗りあげれば、僕の心は癒された。「楽しむ」という感情を忘れている僕は、ブナの樹間を滑り、志津倉精神病院のカウンセリングを受けながら、「なんか物足りねえな」と思ってしまった。これは怪我をしてしまった後に痛感したことだが、一度お医者様に「前十字靭帯損傷」と診断され、説明を受けたとしても、僕はいつの間にか「前十字靭帯損傷」について何度も何度もインターネットで検索してしまうのである。そこに医者の診断以上のことが書いてあるわけでもないのに、自分の怪我がこれからどう治っていくのか、という情報について、「物足りない」という感情を抱いてしまうのである。この「物足りない」という感情が焦りとなって、医者の言いつけを守らず過度なリハビリをすることになり、再断裂などに繋がるのであろう、ということを今では理解しているので、たとえ物足りなくてもじっくり治していこう、と腹を括っているのだが、病的な人間の「物足りない」という感情は、そういった病的な焦りに繋がってしまう。

というわけで、よく考えればここで家に帰ればよかったのである。下山した僕は、眠い目をこすって頭痛に耐え、某スキー場に向かうこととした。僕はこの時、もっともっとテレマークスキーで自由自在に滑れるようになりたかったからだ。

いつも通り某スキー場の一番上のコースに向かい、非圧雪の急斜面(最大斜度38°)を滑る練習をしていた。この日の三回目の練習だったか、僕は滑りながらコースのちょうど半分当たりにいたのだが、コースの上から僕に向かって一直線に、スピードの制御がつかなくなったスノーボーダーが突っ込んできたのである。

僕は慌てて右方向へターンをして、なんとかスノーボーダーとの衝突は避けることができたのだが、急斜面で雪の状態もあまりよくなかったこともあり、足を取られてバランスを崩し、ものすごい勢いで雪に叩きつけられた。覚えているのは、右膝を時計回りに回旋するように捻った感覚と、その際に聞こえた「バキバキッ!」という音だけである。

「終わった」ことを理解した瞬間は意外に冷静だった。もしかしたら死ぬときもこういう感覚なのだろうか。なんとなく自分がヤバい怪我をしてしまったことを感じながら、雪の中でうずくまった。なんとなく立つのが怖くなり、しばしその場に留まっていた。目線を上げるとスノーボーダーはいなくなっていた。果たして雪の中でうずくまる僕を見てスキーヤーのよくある転倒だと思ったのか、それとも罪悪感に襲われながらその場から逃げ去ったのかはわからないが、おかげで僕は今スノーボードというものが大嫌いである。

しかしスキー場からは撤退せねばならないし、コースのど真ん中で唸っていてもどうしようもない。とりあえず下まで降りることにした。「スキーパトロールを呼んだらよかったのに」と後々他人に言われて気付いたが、混乱状態の僕にそんな考えはなかった。右膝は力こそ入らないが痛みは感じない。今思えばアドレナリンがビシャビシャ出ていたおかげだと思う。斜度の緩いコースを繋ぎながらなんとか自力で下まで滑り降り、何度か膝崩れを起こしながらも車までたどり着いた。

会津の限界集落では医療機関も満足にないだろう。土曜日ならなおさらだ。そんな考えから、宇都宮の自宅の近くの整形外科に行くことにした。車に戻るとアドレナリンが切れたのか、右脚が猛烈に痛み出した。車に常備してあったロキソニンをたまたまあったエナジードリンクで数粒流し込んで覚悟を決める。エンジンをかけてアクセルを踏み、車のあらゆる電子システム(クルーズコントロールとか)を駆使しながら宇都宮へ急ぐ。

宇都宮に着くと、有難いことに最寄りの整形外科が土曜日も診療していたので、なだれ込むように駆け込んで診てもらった。レントゲンを撮ってもらい、「剥離骨折」の診断を受けた。たしかに剥離骨折であれば早ければ2週間くらいで治ってしまうので、この時は「復帰は早く済みそうだな」などと呑気なことを考えていたが、家に帰るとやはり嫌な予感に襲われた。あいにく僕はなぜかこの時から「前十字靭帯損傷」という言葉を知っていた。プロ野球を見ていると、毎年1年に1回くらいは12球団の誰かがこの怪我を負って、「今季絶望」という文字が新聞に踊る。そして、僕は何となく「前十字切ったかな…」という感覚が受傷時からあった。前十字靭帯損傷はスキーヤーからは切り離せない怪我であることを知っていたからだ。知人が数か月前に前十字靭帯を切ったことも耳にしていた。そしてこういう悪い「なんとなく」の勘はだいたい当たることも知っていた。馬券を買った馬がパドックでなんとなくダメそうな雰囲気を出していたあの感覚に似ていたからだ。

「きっと剥離骨折だけで済んでいる」という見通しの甘い、でもポジティブな感情と「あの勢いではきっと靱帯をやってるだろうし、あまり期待しないでおこう」という諦観のジレンマに苛まされながら、その日は眠りにつ……けなかった。痛いからである。早く眠ってこのジレンマから逃げてしまいたい。何も考えたくない。自問自答している間に、朝になってしまった。


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