大峯奥駈道

2019.4.29(月)~5.3(金)

大峰奥駈道は、8世紀初頭に開かれたと言われる修験道の修行の道で、吉野~熊野本宮大社の約90kmを結ぶ。

大峯奥駈道を知ったのは、熊の平小屋でアルバイトをしていた時に、休憩時間にのんびり読んでいた雑誌だった。紀伊半島のど真ん中を南北に貫くルート取りと、遥か昔から修験の道として歩かれてきたというその歴史は、僕の胸の奥にふつふつと沸き立つ感情を呼び覚ました。

この頃の僕は北アルプス全山縦走などというよくわからん計画を立てていて、要するに北アルプスを一筆書き(上高地→奥穂高岳→新穂高温泉→読売新道→剱岳→立山→太郎平→新穂高温泉→燕岳→槍ヶ岳→後立山連峰→白馬岳→親不知)しようとしていた。いわばその前哨戦の位置付けとして、大峯奥駈道を選んだわけである。

今回のパートナーはSWVの体力自慢、炊飯男だ。こいつは北アルプス全山縦走に最初は乗り気だったが、6月の中盤に五竜山荘のアルバイトに応募し、パートナー解消となった。それもあって、ロマンしか追っていなかった僕の計画は先輩とOBに横槍を入れられ、結局北アルプス全山縦走の夢は途絶えたこととなる(まあ成功していたとは到底思えないので、今となっては先輩やOBの判断は理解できるが)。

東京駅から夜行バスで京都へ向かうので、炊飯男とは前夜に大学に集合して、食糧を買った。アホなのでアルファ米とキムチの素しか買わなかった。炊飯男は「味変」とか言ってドライマッシュルームをカゴに入れてきた。なんでマッシュルーム?真性のアホである。

⁡1日目、夜行バスで京都入りし、近鉄を乗り継いで吉野へ向かう。人のまばらな吉野に降り立つ。曇天は景色を殺風景にするので、さながら流刑のような気分である。9時過ぎに出発する。道行く観光客を横目にクソでかいザックを背負い、金剛峯寺の門前町を闊歩する。珍しいのか観光客のおばちゃんに「どこ行くの?」声をかけられたりもしたが、「修行です。」とドヤ顔で返した。やがて山へ入る。薄曇りで気温もちょうどいいが、低山独特の鬱蒼とした空気を感じる。炊飯男は持ってきた魔剤缶に小さな穴が空いたらしく、穴から噴出する魔剤をちびちび飲みながら歩いていた。15時半に五番関の女人禁制の鳥居の前に幕営。夕食はキムチ風雑炊であった。この日は15km歩いた。⁡

⁡2日目、この日は平成の最終日だ。アルファ米を食べて6時前に出発する。この日は寒冷前線が通過する日だと事前に分かっており、案の定早速30分ほどで雨が降ってきた。元々分かっていたことだ。仕方がないのだ。途中東屋のような建築物がいくつかあって休憩にちょうどいい。雨の中だが順調に進み、8時半には山上ヶ岳へ到着する。ここは流石に世界遺産なだけあってだいぶ荘厳な雰囲気で、降り注ぐ雨もあって修行感が増す。雨はますます強くなり、ガスガスでドロドロの道を転んだりしながら突き進む。アップダウンが非常に多く、まあまあ体力を消耗する。神聖な建造物がなければ視界はただの丹沢だし、とにかく足を動かす他ない。

15時前に目的の避難小屋手前の水場に着き、炊飯男に「先行って休んでて」と伝える。水を汲んでから足早に避難小屋へ向かい、ドアを開けると炊飯男が居なかった。ははーん、こいつ、俺を置いて先に進みやがったな…。次の幕営地までコースタイム4時間だぞ…勘弁してくれ…と思いながら、爆速で歩き2時間半で弥山まで登り切る。炊飯男はテントの中で寝袋に入りながら、余裕の表情でキムチ風雑炊を炊飯していた。なんだこいつ…。この日は21km歩いた。

3日目、記念すべき令和を迎えたこの日、朝から土砂降りだった。「令和になってもお前は雨男だよ」とわざわざお天道様が教えてくれている。本当にクソみたいなスタートだ。今日も6時に出る。最高地点の八経ヶ岳からはガスで何も見えない。虚無である。神に縋るための修験道なのに、なぜか神に見放されている。しかも炊飯男は体力がありすぎて歩くのが速い。何度か「待てやゴラァ!」とキレてしまった。土砂降りの中、死ぬほどアップダウンを繰り返したらしいが記憶はない。写真も全く撮らなかったが、寒かったことと、めちゃくちゃ疲れたことだけは覚えている。ドロドロの状態で16時半頃に持経ノ宿に転がり込むように到着する。ストーブぬくぬくの小屋を前に「入ろう!?」と懇願するも、炊飯男は「テント張る」の一点張りだ。テントは君が持ってるし、気持ちはわかるけどさぁ…。結局今日もテントでキムチ風雑炊を食べる。マッシュルームも入れてみた。お湯でふやけたキムチ風のマッシュルームが食えるだけで、味変にはならない。真性のアホである。この日は19km歩いた。⁡

4日目。起きたら晴れていた。まあ、晴れていようが靴はグッショグショのドロドロで、足裏は既に血みどろである。互いにだいぶ疲れていたため、出発を遅らせることにして、意味の無いのに「気休めだよ!」とか言ってぐしょ濡れの登山靴を微かな木漏れ日に晒しながら朝食を食べた。結局7時すぎに出る。途中の傘捨山の標識には傘が被せてあって風流だ。こういう洒落た気遣いは想像以上に心を和ませるものだ。笠捨山を越えると岩稜帯となる。そういえば、エアリアマップでもこの区間のみ破線になっていた。「この鎖を付けた人はここで死んだ(意訳)」みたいな看板があってドン引きする。昨日とは打って変わって非常に暑く、岩場に出ると太陽が直接照りつけるもんだから、結局体力を消耗した。岩稜帯をこなすと後はひたすら玉置神社まで快適な登山道を進む。快適だがジワジワ脚に来る。神社に至る緩やかな登りをこなすとやがて荘厳な玉置神社の境内に出る。疲労困憊だったが、その雰囲気に圧倒された。玉置神社で今後の登山の安全祈願をする。10分ほど歩くと神社の駐車場が出てきて、倒れ込むようにたどり着く。今日はここで幕営とする。駐車場の掘っ建て小屋みたいなうどん屋は、到着する5分前に閉店しており、これには炊飯男もだいぶ肩を落としていた。それでもここからの夕焼けはひどく綺麗で、これまでの道程を嘲笑うかのようで、それでも涙が出るほど綺麗だった。人生で5本の指に入る、本当に綺麗な夕焼けだ。というか、涙が出た。周りには誰もいないので、せっかくなので濡れた装備のお店を開いて乾かすことにする。この日も炊飯男が炊飯したキムチ風雑炊を食べる。食後はテントを張らずにアスファルトにマットを引いて、仰向けで夜空を仰いだ。星が綺麗だったのはぼんやり覚えているが、やがて眠っていたようだ。この日は21km歩いた。⁡

⁡5日目。起きたら黎明で、星がひとつひとつ消えて行って、やがて綺麗な青空となった。昨日神に縋ったおかげか、ここまでの修験の道を神が認めてくれたのか。準備をして6時に出る。もう一度玉置神社で安全を祈願し、ビクトリーロードを駆け下る…と思いきや、意外とアップダウンがある。途中、テントポールを拾ったので、とりあえず持っていく。10km進んだ先で修験道の格好をしたおじさんに出会い、話をするとテントポールの持ち主だった。お礼に2000円くれた。標高が低くなるにつれ気温がどんどん上がり、血だらけの足裏は汗が染みてアホみたいに痛い。10m単位のアップダウンを幾度もこなして、遂に熊野川の対岸に熊野本宮大社の鳥居を拝む。ビーサンで渡渉しようとするも、何故かここで紐がちぎれて使い物にならなくなったので、血だらけになったボロボロの足裏に悲鳴をあげながら、裸足で熊野川を死ぬ気で渡りきり、対岸に倒れ込む。あぁ、終わった…。数分倒れ込んで空を見上げていたが、とりあえずコーラを買いに行く。⁡13時15分、熊野本宮大社。やりきった。下山後のコーラは最高だ!⁡この日は17km歩いた。

ちょうど令和元年なりたてホヤホヤということもあって熊野本宮大社は激混みで、参拝後は逃げるようにバスに乗り込み新宮へ向かう。おじさんの2000円はここで投じた。

実はこの山行、5泊6日で計画していたので、1日巻いたこととなる。何故1日巻いたかというと、2日目の道中で炊飯男が呟いた「ハンバーガー食べたい」という言葉が原因だ。ハンバーガーというジャンキーな下界の五感に囚われた僕たちは、死にものぐるいでハンバーガーを求めて脚を動かした。したがって新宮駅に着いたあと、我々はわざわざ2km離れたイオンまで歩き、光の速さでマクドナルドに駆け込み、人生でこれ以上は無いという量のハンバーガーを食べた。

バスの予約は翌日の深夜である。その日は銭湯で死ぬほど汗を流し、脱衣所で刺青だらけのおっちゃんに「兄ちゃんら、ワンゲルやろ」と絡まれ(良い人だった)、すき家で3時間粘って追い出されたあと、新宮駅前のベンチでぐっすり寝袋に入って寝た。ホームレスの気分である。

翌朝は早朝から名古屋へ移動した。観光すればいいのだが、足裏がボロボロで歩けないうえ、そもそも金が無い。スマホの充電も無い。全くやることが無い。名古屋に到着してみたら、2,3日目の土砂降りを忘れたのか、と突っ込みたくなるほどの青空で、且つクソみたいに暑いので、名古屋駅から徒歩5分の児童公園で、周辺住民とガキンチョどもにジロジロ見られながら、悪臭を放つびしょびしょの登山装備のお店を開く。子どもが物珍しさで寄ってきそうだったので、「ここには魔物が眠っている」と言って遠ざけた。炊飯男は難しそうな本を読みふけり、すっかり自分の世界に入っている。ここで予約したバスが来るまで12時間も虚無の時間を過ごしたことが、この山行の核心だったのかもしれない。

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