飯豊連峰 朳差岳・門内岳

2024/7/13(土)-14(日)

「最果て」が好きだ。飯豊の最果てはどこだろう。それはやはり朳差岳なのだろう。朳差岳から北へ伸びる尾根で飯豊の主稜線は終わる。6年前に地神山あたりから眺めた朳差岳は、おだやかに凸凹のある雄大な尾根と、深く抉られた谷も相まって、小さな旅のゴールテープを切るのに相応しい場所に見えた。その時は地神山から丸森尾根を通って飯豊山荘からログアウトしたので、飯豊の「最果て」を訪れることは無かった。

さて、このことが結構心残りになっていて、右膝の抜釘手術をする前に訪ねることにした。果たしてあの日目指した「最果て」は、どんな景色なのだろうか…。

早朝、ブナの原生林に覆われた足ノ松尾根の登山口から登り始める。奥深い樹林帯の尾根をじわじわと標高を上げていく。左手には飯豊の銘渓、足ノ松沢が、右手には頼母木川の本流が轟々と流れている。豪雪に抉られた飯豊の谷は深い。いつか遡行したい気もするような…しかし残機が4人くらい必要だろう。

登山口での体調は割と最悪だったのだが、脚を動かして血を巡らせていくうちに次第に回復していった。ブナの森で深呼吸し、足元の高山植物に注意を向けながら、野鳥のさえずりに耳を傾けながら登ると、大石山に出て、飯豊の主稜線に降り立つ。ここでようやく朳差岳の姿が拝める。まさしく壮観だ。雪化粧の姿はどんなに美しいだろうかと妄想してしまう。いつかスキーで目指したい山だ。

鉾立峰へのコルへ150m標高を落とし、また同じ標高を取り戻す。クマタカが朳差岳の方へ飛んで行った。空を悠々と羽ばたけるならどんなに楽だろうか…。
朳差岳の直下はニッコウキスゲが満開の時期を今か今かと首を伸ばして待っているようだった。足元のハクサンフウロが存在を主張してきたので、こんにちは、と挨拶を返した。最後の緩やかな登りを終えて、朳差岳の山頂に立ち振り返ると、飯豊本山方面にガスがかかった。どうやら歓迎されていないようだが、これもまた風情があって良い。霧に巻かれた最終到達地、「最果て」の佇まいだ。とにかく、6年前の宿題をやり終えた。

再び大石山へ戻り、頼母木小屋へ向かう。向かう先の地神山が非常に勇壮だ。頼母木小屋は水がジャバジャバ出ており、朳差岳の眺めもよく「飯豊のオアシス」に偽りは無い。テントを担いできたのだが張るスペースがなく、避難小屋に泊まることとなった。小屋でご一緒したご夫婦にイイデリンドウの情報を聞く。どうやら頼母木山と地神山の間の稜線で咲いているようだ。明日はどこまで行こうか。ぼやけた夏の夕焼けを見て、吸い込まれるように眠りにつく。

翌朝、夜明け前から歩き出し門内岳を目指す。北股岳はお天道様と相談してまたの機会とした。黎明の中、堂々たる山容の地神山を乗越すと門内岳、そしてその先に北股岳が見えた。ゼブラ模様の梶川尾根の斜面が朝日に照らされている。素晴らしい景色が極上の目覚まし時計となり、寝惚けた身体が一気に目覚めた。勢いそのままに歩き出したが、ヒメサユリの生き残りに呼び止められた。しばし愛でていたが、再び歩みを進めて門内岳に登る。その頂上には赤い祠があり、昂然たる北股岳が南に見える。機会があればスキーで訪れたいのだが、石転び沢と門内沢の源頭部の斜度を見るに、スキー登高に難儀しそうだ。

さて、下山である。生き残りのヒメサユリたちに手を振って、頼母木川本流の源頭部を眼下に大きく伸びをする。地神山を通過すると、早朝は開いていなかったイイデリンドウが開いていた。可憐だが、どこか気品と情熱を兼ね備えるリンドウの花が大好きだ。とにかく心が洗われた。

さて、世話になった頼母木小屋で水を汲み、さらに下っていく。足ノ松尾根の下りは水場までは軽快に飛ばせるが、水場からは尾根が細くなったり、3点支持で降りなければならなかったりするのでペースが落ちる。無心で下山して、時折無骨なブナの木とハイタッチしながら、足ノ松尾根の登山口まで降りていった。

最後は林道を無心で歩いて奥胎内ヒュッテへ辿り着いた。


飯豊は豪雪に磨かれた高山植物の楽園だ。きっとどの季節に来てもそれぞれ違う顔があって、絶対に飽きることは無い。次はハクサンイチゲが咲き乱れる時期にでも再訪しようか。

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