さてさて、スキー場で負傷し、脚を引きずりながら宇都宮に飛んで帰り、さっそく病院に行って剥離骨折との診断を受けたのであるが、正直その程度の怪我で済んでいるとは全く思っていなかった。整形外科に何度か通ったが、あまり進展がない。2週間ちょっと経って剥離骨折が治ろうという状態に至っても、膝に残された違和感が消えず、もはやこの時点で「靭帯か半月板は逝ってるだろう」という確信があった。「MRIを撮りたい」とお医者さまに伝え、紹介状を貰ってMRIを撮りに行った。
競馬で穴馬に賭けた時、馬券発売機にお金を投じた3分後には、頭の中には希望的観測と皮算用に満ちている。まあ、そういう時はおおよそレース10分後には希望が紙屑と化している。そんなわけでMRIを撮ったあとも、僕は「剥離骨折のみで済んでいる」という一抹の可能性に賭けていて、後日お医者さまからMRIの診断書を受け取り、文字通り診断書は紙屑となってゴミ箱に投げ込まれた。
こうして僕の右膝は「前十字靭帯損傷」が確定してしまった。お医者さま曰く「普通は手術する。」との事だったので、スキーで膝を酷使する立場としては手術をせねばならない。済生会宇都宮病院への紹介状を書いてもらって、より詳しい検査をすることになった。
済生会には手術前に3回くらい通った。お医者さまの診察を受けて手術の日程を決め、術後に膝に巻く装具の説明を受け、採血等の身体検査をして、もう一度MRIとレントゲンを撮り、麻酔の説明を受け、手術の説明をされ、入院の予約をして、やっと入院である。この辺の手続きは面白くないので割愛する。
前十字靭帯の再建手術は、膝の裏の内側の筋を取ってきて、脛の骨と大腿骨にトンネルを通してボルトで止めるという、靭帯移植手術である。したがって、手術前にある程度右脚の筋力を回復させる必要があった。術前リハビリもしっかり行わねばならない。
このような説明を受けていると、「随分と大怪我だなあ」と改めてじわじわ感じることになり、精神的にまいってくる。人は「歩く」という行為に随分と依存しているらしい。それなりに人より「歩く」ことに依存していて、「歩く」ことを愛している僕は、これから「歩く」という当たり前の行為のために努力しなければならない時間がくることに、ひどく違和感を覚えて怯えていた。
「歩く」ことができない以上、神頼みでもするしかない。手術前の休日は地元に帰り、川をのんびりお散歩して、とりあえずいつも暇つぶしをしている地元の神社で神頼みをした。でかい神社に行ってお祓いをしようとか、そんな気は毛頭なく、長い時間を過ごした地元のこの神社はきっと僕にフレンドリーだし、きっと助けてくれると思ったのである。別にいつも神社でポケーとしていることはあっても、神様に頭を下げることはあまり無かった。神に縋る人間の気持ちを理解しようと思ったことは無いし、むしろ理解しないようにしていたのであるが、殊更に神頼みをしたのは、「情けは人の為ならず」ということわざを信じるのならば、素直に神様に頭を下げるという世間的に縁起のいい行動をすることで、報いが返ってくるのではないか、という希望的観測からである。まあ、相手は人ではなく神様なのだが、この希望は紙屑にならないことを祈ろう。
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