いくら神頼みをしようと、運命からは逃れられないものである。受傷日から一か月半が経とうという頃に、手術を行うため入院した。
手続きを済ませ、案内された部屋は8階の角部屋の端っこだった。8階が整形外科のエリアらしく、整形外科の患者が多くいた。大半はご高齢の方のようだ。まあ、病院だしそんなものか。
翌日がもう手術だったので、午後9時からは一切の食事が禁止になった。水だけは飲んでいいらしい。というわけで、最後の晩餐でもしようと1階のスタバでフラペチーノを買った。病院のメシは不味いってよく言いますし…。
そして2023年4月14日、運命の手術の日を迎えた。手術は午前11時頃からだったが、待っている時間は非常に苦痛だった。その時を待つ死刑囚の気持ちが微妙にわかった気がする。手術室へは看護師さんに案内されて自分の足で向かう。手術着に着替え、手術台に乗せられて、注射を打たれる。まずは背中に麻酔を打たれる。この注射が痛いというか、非常に気持ち悪い感覚だった。その後は硬膜外麻酔の管を背中に入れる。これは術後の痛みを抑えるものらしい。ぶっとい注射でビビり散らかしていたが、麻酔をしていたおかげでそんなに痛くはなかった。しかしめちゃくちゃ気持ち悪かった。そして「これから全身麻酔入れますよ~」とベテランっぽい看護師さんに声を掛けられ………。
いつの間にか手術は終わっていた。気付いた時にはおぼろげな意識で手術室のベッドに寝かされていた。いつの間にか局部に導尿カテーテル付いてるし…。とにかく、全身麻酔は一瞬で眠るし、気付いた時には手術が終わっている。
とにかく手術は眠ってるだけなので大したことはないのだが、手術が終わって夜が明けるまでが一番苦痛であった。まず、術後6時間経つまで水を飲むことができなかったので、18時に手術が終わってから、日付が変わるまで喉がカラカラのままであった。そして、導尿カテーテルの違和感が半端ない。局部に管を突っ込まれてるなんてそりゃあ不快極まりないのである。そして、地味に右脚が痛いうえに、動かせないので寝返りが打てない。硬膜外麻酔の穴から突っ込んだ背中の痛み止めの効果が薄れてくるたびにジワジワと痛みが迫りくる度にカシャカシャと痛み止めを追加し、日付が変わる頃にようやく水を飲むことを許されたが、この日はほぼ一睡もしないまま朝を迎えた。
手術の翌日からリハビリが始まった。まあリハビリといっても股間から管が伸びている以上大したことはできないのであって、股間から管が抜かれる(バチクソ痛かったが)までは患部のマッサージと、車いすの操縦の練習が主だった。管が抜かれてからはまず松葉杖を持たされ、1時間ほど松葉杖で病院の廊下を歩き回り(割とキツい)、あとは階段昇降の練習をした。また、リハビリ室で膝を伸ばすストレッチに加え、僕の家には椅子がなかったので、膝に負担をかけずに床に座る訓練を行った(結局Amazonで椅子をポチったが)。入院末期には右脚を徐々に地面に付けることを許可され、体重の半分の負担をかけながら松葉杖で歩く練習も行った。ひたすら体重計に乗って右脚に体重をかけ、感覚を覚えるというもので、ガサツな自分にはなかなか難しいリハビリだった。まあ、田舎で1人暮らしをしている以上、社会復帰をするには生活するうえでできなくてはいけない事が多いのだ。退院する頃には右と左の脚の筋肉の付き方がだいぶ変わっていたはずだ。
また、2週間の入院生活に耐えるために事前に書店で気になった文庫本を買い漁り、7冊ほど病室に持ち込んでいた。そして、積みっぱなしにして消化するのを先延ばしにしていたアニメを5本程度ダウンロードしていた。したがって、病室ではひたすらアニメを鑑賞し、文庫本を読む日々が続…かなかった。正直リハビリと食事、そして2日に1度のシャワーを除いては全くやることがないので、ドが100回付くくらいにはド暇である。瞬く間にアニメを消費し、1週間過ぎた頃には文庫本はいつの間にか読み終わっており、残りの1週間何もやることがなくなった。ちなみに、このブログを開設したのは、まさにやることが無さすぎた入院時である。入院するときは少しでも多く娯楽を持ち込んだ方がいい。僕はあまりにも暇だったので入院後半は地方競馬に熱中し、割と結構な額が地方自治体の収入となり消えていった。名古屋競馬で一番人気の馬が二番人気と三番人気の馬を一掃しながら逸走していった時は病室でちょっと唸った。
また、とにかく看護師の方々には敬意を表したい。彼(女)らは四六時中患者に注意を払い、患者のリクエストをあれこれ聞き、コミュニケーションを欠かさず、アスリートかのごとく動きまくっている。しかも「この人昨日の昼働いていたよな…?」って人が今日の夜も働いている。僕が彼(女)らのような生活リズムで過ごしていたら確実にどこかでぶっ倒れてしまうだろう。「ここんとこ忙しかったわー」とか思っていた自分の仕事が情けなくなるほどの激務である。人の命を預かる仕事というのはそれほど大変だということだろう。2週間本当にありがとうございました、と心から感謝を述べたいところだ。
16日の入院生活を経て、僕はなんとか退院した。あんなに入院するのが憂鬱だったのに、退院する頃には一人暮らしの生活に戻ることに少し寂しさがあった。ここからは自分で生きていかねばならぬ。僕のリハビリ生活が始まりを告げたのであった。
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